好きなものを好きだと言いたい【プロフィール】

 

このブログは、よしだ(@ysdasykがタイの音楽を布教したり、思考の記録を残したりするブログです。

よしだってだれ?

よしだ@ysdasyk

  • 1988年生まれ
  • 岐阜県出身、東京都在住
  • タイ音楽ジャーナリスト
🐦Twitter : @ysdasyk

📷Instagram: ysdasyk

✍note : ysdasyk

 

ぬるぬる動いてる。

 

 

強くて正直なふりをしていた

私は人から「明るくて強い人」だと思われがちですが、本当は人と関わることがこわくて、作り笑いをする臆病な人間です。

ひとりで旅に出たり、ひとりでクラブへ行ったり、そんなことばかりしていました。変わった性質の持ち主だと思われるのがこわかったからです。昔付き合っていた人にも「本当のことを言って」と詰められることが多かったし、私は自分のことを話すのが苦手だったのかもしれません。

自意識過剰かもしれないけれど、常に疎外感を感じていました。

 

ジャズが好きな子ども時代

私の地元は岐阜県山県市。岐阜市の北部に隣接する、小さなまちです。

なかなか友達の輪に入れず、ひとりでボーッとするのが好きな子どもでした。

小学校へ入学したらなぜか先生に叱られることが多かったです。学校でも家でも「普通になりなさい」と言われていて、そのたび「普通ってどんな状態のこと?」と聴いていました。

髪を染めてはいけない、ピアスホールを開けてはいけない、古着のadidasパーカーを着てはいけない、ひとりで遊びに行ってはだめ、テレビを観なさい…通っている学校以外の人と遊ぶのはやめなさいとか…。よくわからなかったです。

たぶん学校は退屈で、居場所がないなぁと感じていたのでしょうね。小学校高学年頃になると地元から一番近い都会で遊ぶようになりました。(地元から名古屋駅まではバスと電車を乗り継いで片道1時間半の距離です)

改めて振り返ると、幼い頃から心に重い塊を抱えていた感覚がずっとあったなぁと感じます。

 

音楽をはじめたのは2歳の時。

岐阜市長良にあるヤマハ音楽教室でエレクトーンやってました。10歳から先生が代わり、ジャズピアノも演奏するように。

出典:長良音楽センター | 日響楽器

モダンジャズよりジャズフュージョンが好きでよく聴いていました。エレクトーンプレイヤー窪田宏の曲はほとんど完コピしましたよ…!今でも大好きです。

 

不登校な中学時代

家から徒歩5分で行ける公立の中学校へ入学。自然と不登校になりました。学校の人たちと関わるより、学校外の友人と遊んだほうが自由で楽しかったからです。

あと、バイトをしていたから学校に行けなかったというのもありました。とある事情でお金が必要だった私は、中学に入ってから週4ペースでバイトをしていました。

(もちろん年齢をごまかして。モスバーガーとコンビニで働いてました。よくできたなーw )

昼過ぎに登校すると奇妙な目で見られるくらい浮いていて、ほんっとうに居心地が悪い学校生活でしたが、中学2年の秋から真面目に通うように。

きっかけは、当時お付き合いをしていた男の子です。「将来の選択肢が増えるから、学校へ行きなさい」とアドバイスをもらいました。

学校へ通うようになったことで友人もできたし、学校へ行きなさいと言ってくれた彼のおかげで、私の人生がいい方向へ変わりました。

この彼とは19歳までお付き合いすることになります。私が持つ、あらゆる能力の基礎である『自尊心』を育ててくれたのは彼でした。

 

メンヘラギャルな高校時代

岐阜市の済美高校へ入学。地元から片道1時間かかる元女子校です。男子生徒が2人しかいなかったような記憶が…。だからほぼ女子校ですね。

交友関係が広がり、クラブで夜遊びすることを覚えた私は、学校→バイト→クラブを繰り返す生活を送っていました。

一番好きだったのは柳ヶ瀬のB’s CAFE。薄暗くてこじんまりとしたミュージックバーという感じ。もう閉店しちゃったんだよなぁ。

出典:B’s CAFE – Facebook

今思えば、高校時代のクラブ通いが音楽への探究心を養ってくれたと思います。

当時はShazamのような音楽認識アプリなんてないので、気になった曲はすぐDJに聴いてメモ→CDショップで買う、という今考えたらなんてアナログな!遊びをしていました。

ちなみにYouTubeをはじめて触ったのは高校3年生の頃だったと思います。

というか、

今考えるとさ!

真面目すぎるほど真面目でカッコイイ彼氏(中学時代に出会った人)がいたのに、こんな派手な顔をしてたんです!

よく一緒に歩いてくれたよね!すべてを肯定してくれた元彼、自主性を尊重してくれてありがとう!

高校生の頃のよしだ。なんでこんなに化粧濃かったんだろう…。

 

リア充なギャルだった反面、メンヘラでもありました。

暴力が普通の環境だったので、まぁメンヘラになるよねって感じです。

心療内科に通っていましたが、何度か自殺未遂していたため手に負えないと判断されたのでしょう。精神科の閉鎖病棟にぶちこまれたタイミングで高校を卒業しました。出席日数足りなかったけど、なんとかしてくれた当時の担任に感謝です。

虐待による後遺症。メンヘラだった私が、とりあえず生きてみたらハッピーになった話

2018.07.07

 

落ち着かない高校卒業後〜青年期時代

高校卒業後は名古屋で一人暮らしをはじめました。名古屋では栄、上前津、八事、名駅で暮らしたことがあります。

ジャズピアノと作曲を学び、栄のジャズバーでセッションに参加したり、今池のライブハウスでPAやってました。

音楽理論を知ったのもこの頃です。18歳まで、コードという概念を知らないままコードを弾いてました。

昼間はハービーハンコックやT-SQUAREなどを演奏して、夜は日本語ヒップホップのライブへ行くという音楽漬けの生活。

(名古屋は日本語ラップの聖地なんですよ!)

 

22歳の時、遠くへ行ってみたくて石垣島へ移住。

DJをはじめて、音楽イベントを立ち上げました。

メイドの格好をして撮影モデル的なこともしてましたね。

 

その後、石垣島で会ったバックパッカーの影響でアジアを周りました。はじめて行った外国はタイです。

教科書通り、カオサンを拠点にしてました。楽しかったな。私は寺裏が好きでした。

この旅では、はじめて撮影の仕事をいただき、それがきっかけでなんとかカメラマンとして生計を立てることができました。

仕事をくれた人と出会った、カオサン近くのクラブ「Cafe democ」

出典:Cafe Democ Silom Area Of Bangkok With Club Events electronic music

※もう閉店してしまいました。゚(゚´Д`゚)゚。

 

撮っていたジャンルは観光系が多かったです。(H.◯.S.の広告など)

インドの像とか、マレーシアペナン島のフルーツ農園とか撮ってました。

フルーツ農園のフルーツ食べ放題は観光でまた行きたい…楽しかった…。

今考えれば、見てくれる人のことを考えて写真を撮ることができていなかったし、なにがカメラマンや!って突っ込みたくなりますw

 

多様性を知った東京時代

2014年に東京へ流れ着き、カメラマンとエンジニアやってました。

(某週刊誌や広告用写真の撮影、クロネコヤ◯トのシステムとか求人サイトとか作ってたよ)

親戚の借金肩代わりしたり、自律神経おかしくなって入院したり。ちょっと疲れた時期もあったけど、長い人生こういう時期もあるよね( ^∀^)

 

もともと音楽はなんでも聴く人でした。

特に思い入れのあるタイの音楽を提案したくてブログを書いてます。

不登校でメンヘラだったし、子どもの頃から変わった人扱いされることが多くて少し寂しかった。

ネットで叩かれることもあったので傷つくのがこわかったけど、どんな状態の私でも受け入れてくれる場所があるんだと気づいてからは自由に発言できるようになりました。今の環境に感謝です。

 

ひっそりとほしい物リスト

夢と希望が詰まったほしい物リストです∩( ・ω・)∩

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