毒親育ちで罪悪感といっしょに生きているけど、正常な考え方をする訓練をしています

毒親 虐待サバイバー 虐待サバイバー

 

心理カウンセリングを受けるの日程の相談を、先生とメールでやりとりしている。

今まで固定していた曜日と時間よりも、落ち着いて話せそうなタイミングを見つけたから。

これからもお世話になりたいと思っている先生なので、大丈夫かな?迷惑じゃないかな?って気をつかってしまう。

「次回から、◯曜日の◯時にお願いできますか?」
『ごめんなさい、その曜日は枠を開けることが厳しそうです』

 

….こちらの希望を伝えることが申し訳なくて、つらい。

相手を悩ませたり、時間や労力を使わせてしまったり

わたしが原因で誰かに影響を与えてしまうことが申し訳ない。

「黙ってろよ自分」と思ってしまう。泣きたい。

 

 

「黙ってろよ」「余計なことをするな」

って、そういえば、いつも親に言われていたな。

子どもの頃、親が自分にしてきたやり方で、自分に接してしまうね。

「死んだほうがいいよ」「馬鹿じゃないの?」「できるわけないよ」って、自分に暴言を吐いちゃう。(毒親そだちあるある)

いつも、生きていて申し訳ないなという《罪悪感》を持っている。

というか子どもの頃から無意識の中でずっと思っていた。つらいな。

自分の心に従うことが、人を頼ることが、人に何か影響を与えることが、そもそも存在すること自体が、悪で、みんなに迷惑をかけていると感じる。

被害妄想って思うかもしれないけれど、子どもの頃から親に《あなたは生きている価値がないゴミクズなんだよ》という英才教育を受けていたら自然とそうなってしまった。
自分の心に従ったらロクなことがないと思っている。

そんな感じなんだけど。いまの自分のまま死ぬのは嫌だから、自分で自分のことを育てなおしている最中です。

自分にやさしくなりたい。

【ゴミクズと洗脳されたわたし VS どんな自分でも認めているわたし】の戦いだよ〜。

がんばろ。

 

それでね、

正常な判断がしたいときは、「友だちが自分と同じような状況だったら、どう思う?なんて声をかけるかな?」と考える。

友だちはゴミクズではないと思えるので、大事に扱うことができる。

 

友だちがカウンセリングの日程調整をしていて、先生に要望を伝えるのが申し訳ないと思っている。そしたらわたしは友だちにこう言う。

『いやいや、申し訳ないなんておもわなくていいんだよ。予定の相談って普通のことだから。

先生もあなたの都合がいいときにカウンセリングを受けてほしいと思っているよ。

あなたは、よりよい生活を送るために動いているし、誰も責めないよ』

 

↑この言葉をそのまま自分に伝えてあげよう。

大丈夫だよ。みんなそれぞれ自分にとって都合がいいことを選んでいるから。心配しないで。