こんにちは!タイ人になりたいよしだ(@ysdasyk)です。
この記事は、子どもの頃虐待を受けていて自殺未遂を繰り返したけど、今はまぁ受容できているよ★ということについて書いています。
別に暗い話じゃないですよ。あ、暗いか。
「親子関係に悩んでいる」「もしかして私の親って毒親?」「あれって虐待だったのかな?」という人に読んでいただきたいです。
Contents
虐待ってなに?しつけと虐待の違いは?

自分のことを話す前に、まずは虐待とはなんなのか?データで見るとどんな感じなのか?そして、後遺症はどういったものがあるのか?これら3つのことについて書きますね。
虐待(ぎゃくたい、英:abuse, maltreatment)とは、むごい扱いをすること。繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすること。
この記事で書く虐待の対象は子どもです。
しつけと虐待の境界線
- しつけ
教育が原点で、ルールとか最低限のマナーを教えるもの - 虐待
感情をぶつけるもの
例えば、危険な火遊びをする子どもを「そんなことしちゃ危ないでしょ!」叱るのはしつけで、「お前はバカだから死んだほうがいい」などの暴言を吐くのは虐待だと思います。
虐待の種類と特徴
一言で虐待と言っても様々な状況があります。
- 身体的虐待
児童の身体に外傷を負わせる、または、負わせる可能性がある暴行をすること
- ネグレクト
食事を与えないなどの育児放棄、同居人の虐待放置
- 心理的虐待
暴言・脅し・無視、兄弟間による差別扱いなどの心理的な傷を与える行為
- 性的虐待
子どもへの性的行為、ポルノ写真を撮ることなど。認知されにくいためデータに残りづらい
虐待に関するデータ
虐待通告件数は年々増えている、というニュースを見かけたこともあると思います。1990年と比べると約100倍の件数だそうです。
全国の警察が2017年に、虐待の疑いがあるとして児童相談所(児相)に通告した18歳未満の子どもは、前年比約20%増の6万5431人に上ることが8日、警察庁のまとめで分かった。
また、ニュースになっていないだけで、虐待死は年間69件〜99件だと言われています。
虐待による死亡事例は年間50件を超え、1週間に1人の子どもが命を落としています。
実際にあった事件
ニュースで大きく報道された事件のひとつとして、2010年に発生した「大阪二児置き去り死事件」があります。
23歳の母親が、3歳の女児と1歳9か月の男児を自宅に約50日間放置し餓死させた事件です。
大阪二児置き去り死事件をもとにした映画「子宮に沈める」
この事件のように、子どもが死んでから話題になることが多いけど、死んでないだけで虐待を受けてる子どもはたくさんいるだろうなと思います。
最近も虐待死事件あったけど、そういう状態に誰でもなり得るだろうなと思う。この映画や事件は子どもが死んでしまったから浮き彫りになっているだけ。子どもがたまたま死ななかったから気づかない、自覚がない虐待をする人間になる可能性はみんなある。鬱も病気も然り。悲しいけど気をつけるしかない。
— タイ人になりたいよしだ (@ysdasyk) July 4, 2018
虐待による後遺症
- 早い時期から、さまざまなストレスに晒されてきた子どもは、免疫系老化が進みやすい
- 扁桃体が健常者に比べ8%以上小さくなるため、うつ病になりやすい
- 虐待に関連する事項、人、活動などを回避し、記憶が抜け落ちる(解離性健忘)
- 繰り返し親から否定され続けた影響を受け、劣等感や無力感を持ち、自分に対する評価が低くなってしまう
「 三つ子の魂百まで」という諺があるように、幼少期の親子関係は子の一生を左右します。
しかも、自分が虐待を受けてきた事実は、気づきにくいです。虐待を受けることがが普通だったし、それって虐待じゃないかって言われても、「大袈裟wwwウケるwww」くらいにしか思わない。
例えば親切な誰かやお医者様が「虐待の後遺症ヤバイね」って言ってくれても「そんな・・・私の存在価値が低い理由を親や家庭環境のせいにするなんてできない・・・」なんて思ってしまって、認めることができない。
私がポンコツなのは私のせいって、幼い頃から洗脳されてきたんだもん。
私も未だに自分のことを「親に虐待されてましたーなんて大袈裟に言ってるだけなんじゃないか?嘘なんじゃないか?私はダメな子だから殴られて当然だったし・・・」なんて思う。罪悪感マックス。こういう気持ちも虐待の後遺症だと思う。
親からの虐待経験がある人は自己肯定感が低い傾向にあるから、自分の可能性を信じることが出来ない。努力なんてしても無駄だと思っているし、だいたい努力の方法を知らない。それどころか、自分のなにが問題なのかすら、きっとわかっていない。希望を持ったことがない人間は希望の持ち方を知らない。
— タイ人になりたいよしだ (@ysdasyk) April 27, 2016
虐待を受けていた人間は幸せになれないの?
生きづらさを抱えている人の中には、心療内科でアダルトチルドレン、境界性パーソナリティー障害などの診断を受けた人もいると思います。
アダルトチルドレン(Adult Children)とは、「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなおトラウマを持つ」という考え方、現象、または人のことを指す。
境界性パーソナリティ障害(きょうかいせいパーソナリティしょうがい、英: Borderline personality disorder ; BPD)は、境界型パーソナリティ障害、情緒不安定パーソナリティ障害(じょうちょうふあんてい-、Emotionally unstable personality disorder)とも呼ばれ、不安定な自己 – 他者のイメージ、感情・思考の制御不全、衝動的な自己破壊行為などを特徴とする障害である。
お医者さんに病名を言われたからって悲しまなくてもいいです。たまたま当てはまってるだけ。
私もお医者さんに言われたときはわんわん泣いたけど、今じゃ、だからなんだよって思ってます。アダルトチルドレン、境界性パーソナリティー障害は病気じゃないです、性質です。名前がない病気や性質だってたくさんあります。
(私はみんな障害者で病気持ちで、正常な人なんていないと思ってる。そもそも正常とか普通ってなんだよって話)
ただ、名前がある病気や状態に当てはまるのはラッキーです。生きづらさを解消させる方法を考えることができるから。前向きに考えるとハッピーです。
障害や病気を問題だと捉えて騒ぐ人はどれだけ完璧な人間なのだろう。障害者手帳を持っていなくても、診断されていなくても、みんな障害者だし病気を持っていると思う。ただ名前がついていないだけ。
自分が知っている「普通」の枠からはみ出る事柄や人間を排除したくなるのもある意味病気に思えるよ。— タイ人になりたいよしだ (@ysdasyk) May 31, 2018
生きづらさを解消させる方法のひとつとして、癒しのワークブックで自分のことを見つめなおすのは良い方法です。
見つめなおすのって結構キツいけどね。まずは自分のことを知ることから。
承認欲求との付き合い方を振り返りたい時は、この本を読むと心の仕組みがわかりますよ。
虐待を受けていた自分を振り返る

よしだ(Lv0)を抱く母親
私の場合は主に母親から虐待を受けていました。父親は母親の助手みたいな感じでしたね。

自分が虐待を受けてきた事実は、気づきにくい

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16歳の時、自殺未遂して病院へ運ばれる
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Youうつ病ですね
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心療内科へ通いつつカウンセリングを受ける
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自傷&薬漬けの日々
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「薬飲んでるしメンヘラだし、やっぱり私は普通じゃないのか。普通になれないのなら死のう」
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自殺失敗。生きてる
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精神科病院の閉鎖病棟にぶち込まれる
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退院後、実家を出て一人暮らしをはじめる
今考えるとちょっと暗い青春時代でしたが、当時はすべて正しいことだと思っていました。
「あなたがうつ病っぽいのは、母親との関係が悪いからだと思う」と友人に言われて考えはじめたのが16歳のとき
「あ、私、親から虐待受けてたわ」と気づいたのは20歳超えてからでした。

虐待を受ける子どもが大人になってから困ったこと
自己肯定感が低い
なにをしても「死ね」って言われる子ども時代を送ってきたので、自己肯定感が低くなっちゃいました。親が子どもをゴミみたいに扱うと、自分で自分のことゴミだなぁって思うようになっちゃうんですよ。
そのおかげで、冷静に考えると「あ…私生きてる価値ないやん…ゴミクズやん…」なんて思ってしまうのですが、まぁそうやって考えるの飽きたよね。

基本的には自分のこと大好きです。好きっていうか、笑顔で過ごせている時は自分すごいなって思う。親の代わりに自己肯定感を育ててくれた友人と恋人のおかげで生きている。
ただ、ちょっと冷静になるとすぐ鬱モードになる傾向があります。この気持ちとは一生付き合っていくのだろうな。
普通の感覚がわからない
親が子どもの誕生日を祝うとか、一緒に食卓を囲むとか、暴力がない家とか、そういうアニメとかドラマみたいな生活を想像できません。なので、友人や恋人から家族の話を聴くと驚くことが多かったです。
恋人が、「お誕生日は親から電話がくる」と話してくれたとき、「え?なんで親がそんなことするの?」と聴いてしまって不思議な顔をされた覚えがあります。多分、親が子どもの誕生日を覚えているのが一般的なんだと思う。頭ではわかっているんだけど、ちょっとよくわかりません。
恥ずかしいんだけどさ、私は毒親育ちで、普通の感覚がわからない時がある。家族が誕生日を祝うとか、家族と食事するとか、知らないからドラマでしょって思う。私は家庭環境が原因で普通の感覚を持っていない、というのを自覚しているけれど、自覚してない人のほうが多いんじゃないかな…。
— タイ人になりたいよしだ (@ysdasyk) June 15, 2018
絶望したり鬱になることが普通になってる
気をつけていないと、すぐ希望を捨ててしまいます。
今のところハッピーだし、前向きだけど、いつ突発的に希望を捨ててしまわないか心配です。希望を捨てて息苦しくなったり、自傷や自殺を考える状態になるのがトラウマです。
自己否定の海に溺れるのは苦しい。
最近はっきりと気づいたのだけれど、私は無意識に不幸を求めている。傷付きたくて事故を求めている、厄介な性質だ。絶望したり鬱になることが気持ち良くてやめられないのだと思う。普通にしていれば問題ないのに。このままでは危ないので、出来るだけ争いがないところで呼吸をするように心がけている。
— タイ人になりたいよしだ (@ysdasyk) March 24, 2017
素敵な親子関係という幻想
不思議なことに、私は母親のことが大好きなんですよ。
私の人生がボロボロなのは母親のせいだと恨んでいたし、責めた時期もあったけど、好き・・いや、好きになりたい。
母親に虐待されていて傷ついていた、ということに気づいたのは大人になってからでした。辛かった気持ちをわかってもらいたくて、何度も話し合いをしたし、手紙もたくさん書いて渡した。
母親は悪気があって虐待していたわけではないのです。多分、子どもの愛し方を知らなかっただけ。
私はお母さんに愛されたい
「お母さんに愛されたいという気持ちが消えない」
一番厄介な後遺症はこれです。まあ、普段はそんな気持ち忘れているし、ほとんど諦めているんだけど。心の奥底では「愛されたい」って思っていると思う。愛されたいというか、存在を肯定されたい。笑顔で過ごすことを認めて欲しいと言うか・・・。
私は今でも、泣くのをやめられない夜を過ごすことがあります。母親は長年染み付いた癖で、私のことを貶すときがあります。例えば・・・目があったら、よく顔が気に入らないって言われます。なにもしてないのに。

もう、母親と仲良くしたいという夢を捨てようと思ったこともありますが、諦めきれないんですよね。愛されていると感じなくても、私は母親のことを愛してるし、愛したいのです。
多分一生叶わないけれど。
完璧な人間なんていない
パーフェクトな親なんていないし、正しい子育てマニュアルなんて売っていない。それは親子関係に限らず人間関係すべてに言えることです。ロボットみたいに完璧な人間なんていない。
母親だって、一生懸命だったと思います。私は母親を許しているし、理解したいと思っています。
つい投げ飛ばしたくなったその人は、旦那さんにその気持ちを話して落ち着いたらしいけど、世の中で良しとされている母性神話に当てはまらない自分を受け入れてくれる場所がない人にとっては苦しさしかないと思う。(調べてみると、母性神話ってのは日本だけで、明治時代に政治的に作られたものらしい)
— タイ人になりたいよしだ (@ysdasyk) March 8, 2018
まずは、母親に貶されたときに「それは傷つくからやめてほしい」と言えるように努力します。冷静じゃない相手に言い返すのはこわいんですけど・・・。「お前はバカだからやめてほしいなんて言う権利ない」って言われるのが目に見えてるけど・・・。目の前で泣くのも嫌だし・・・。
まとめ
精神科病院の閉鎖病棟を退院したとき、「その気になればいつでも死ねるから、とりあえず生きよう」と思いました。
とりあえず生きていて正解だったかなと思います。
だって、昨日より今日の方が生きやすいと毎日感じるから。(生きるのにも慣れが必要なのかもしれない)
苦しいとか痛いとか寂しいって気持ちは、できるだけ感じないほうがいいと思うんですよ。絶対に後遺症が残る。私は苦しい思いをしないと幸せになれないなんて嘘だと思います。苦しいとか痛いとか寂しいって気持ちは避けた方がいい。
私は子どもの頃、母親にしてもらいたかったことを、周りにいる人たちにしたいと思って生きています。優しい人になりたい。優しい気持ちが伝染して、優しい世界になると思うから。
完璧に眠り、完璧にバランスよく栄養を摂り、心身ともに健康な毎日を送るなんて無理。超絶鬱陶しいことがあっても気楽に前向きに捉えられる頑丈なメンタルをいつも持っているわけではない。死ねとハッピーの間で揺れている。毎日同じ状態じゃないけれど、どんな状態でも優しさだけは死守したいです。
— タイ人になりたいよしだ (@ysdasyk) January 1, 2017
