この記事は「海外行けば人生変わるとか嘘だからな」ってことについて書いてます∩( ・ω・)∩
あなたは喜ぶことが得意ですか?
世の中には2種類の人間がいると思う。
喜ぶことが得意な人と、喜ぶことが苦手な人。
喜ぶことが得意な人は日常に感謝するし、喜ぶことが苦手な何処へ行っても何も感じない。
喜ぶことが得意な人は、「落ち着いた生活を維持できていること」の価値がわかる。退屈な日常であっても喜べる。
喜ぶことが苦手な人は、どこでどんな状態になってもその価値がわからない。足りないものを探すばかりで喜べない。
喜ぶことが得意な人は、喜ぶための工夫ができるから、海外へ行かなくても毎日楽しい。
喜ぶことが苦手な人は、基本的に他力本願だから、海外へ行っても何も感じない。
日常で何も感じない人はどこか遠くへ行っても何も感じないと思う。
素敵なものに反応する好奇心と想像力を持っていないんだもん。近所に咲いてる花を綺麗だと思わない人はオランダでチューリップ畑を見ても何も思わない。
落ち着いた日常に感謝できないのに遠い場所のなにかに心動くわけがない。 pic.twitter.com/oZLsVy0gj5
— タイ人になりたいよしだ (@ysdasyk) July 19, 2018
気をつけていないと心が不感症になる
私はどちらかというと「喜ぶことが苦手な人」です。
好奇心旺盛タイプに見られがちなんだけど、実は心が不感症タイプだと思う。気をつけていないと好奇心を上手く使えない。アァー、厄介だな。
丁寧に料理を作らなくても食欲は満たせる。
ハンドドリップしなくたって珈琲は飲める。
革靴のお手入れをサボっても生きていける。
作業用BGMが欲しい時、とりあえずニルヴァーナの「Nevermind」を選んでおけばまぁ問題ない。
近所の公園に咲いてる花を見なくたって死なない。
誰かと会うより仕事したほうが疲れない。

「遠くへ行けば精神状態が変わるかもしれない」という浅はかな考えで石垣島へ移住したことがあるけれど、最初の3ヶ月くらいはなんとなく衣食住を繰り返すだけで何も感じなかった。もともと海や沖縄文化に興味がなかったし。
(じゃあなんで移住したのかというと、日本地図で一番端っこだったからです)
おそらく私は、気をつけていないと自分を喜ばすことができない性質の持ち主。
心が不感症にならないための考え
先ほど述べたように、心が不感症のままどこかへ行っても何も感じない。
何も感じないのなら、何をしても同じ。
だったら平凡な日常を楽しく生きるのが勝ちだよなぁと考えるようになった。
楽しく生きるために、部屋に花を飾ったり習い事をはじめるのもいいけれど、私の場合は「不満をためないこと」が一番の課題。
愚痴っぽくなるのは一番避けたいし、消耗したくない。
床が汚いのは許せないので、毎朝床を拭く。カラダがダルいとやる気が起きないのでストレッチをする。なんのために生きているのか確認しないと迷走しそうなので、一言でもいいから日記を書く。
あとは休日の予定を立ててみたり、気になる人にアポとって会ってみたり。不誠実だなぁと感じる人からはサササッと離れて、大好きな人にお手紙を書く時間に使う。
このように、まずは生活の小さな不満を少なくして、ワクワクできる土台を作る。好奇心を利用するのはそのあと。
適度に手を抜きつつ、できるだけ自分を喜ばせてあげたいなーと気をつけています。
毎日忙しくて3時間しか寝てない生活とか嫌だ。毎日疲れてる人はダサいし、ただ面倒なだけだと思う。
まとめ
「なにか特別なことしないと、幸せを感じることができない」という考えの持ち主が多いなーと思ったのでこの記事を書きました。
同じ時間を過ごすなら、楽しんだ方がいいよねっと。今成り立ってる日常の価値がわからないと、何処へ行っても楽しめないよねっと。
あなたがどんな状態でも、健やかに暮らせますように。